3年前に亡くなった金沢大学ラグビー部同期の友人を偲ぶためにひっそりと走ったGPSアート。走ったあと、友人の奥様がすごく喜んでくれました。いつか一緒に歩きたいとも。
2年の時を経て、とある新聞取材。
3年前に走ったこのGPSアートをご紹介すると、ぜひ詳しく取材したいと。
当時一緒に走ったメンバーや、友人の奥様にも取材していただき、素敵なコラムにしていただきました。
タマちゃんが死んだ。 金沢市の石川基さん(五〇)に三年前、金沢大ラグビー部で同期だった島袋祐一さんの訃報が入った。人懐こくてゆったり話し、練習よりマージャンが好きなやつ。連絡がつかなかったのはガンの闘病ゆえだった。
石川さんは、当時の部活仲間と思い出の地を走り巡った。試合後に連れ立ち、彼が酔っぱらっていた 片町を疾走。練習した金沢城公園では昔のようにダッシュした。
この十五キロの道のりには仕掛けをした。上空からはたまちゃんの似顔絵に見えるのだ。丸い輪郭、つるりとした頭。眼鏡の奥に、山なりの目をのぞかせている。あの居酒屋も練習場も今は存在しない。けれど金沢にはずっと、笑顔の彼がいる気がした。
今度は彼の妻子も一緒に走ろうなんて話もある。「またタマちゃんと会えるな」。そんなふうに思っている。
(北陸中日新聞 風紋 高橋雪花記者 コラム引用)
この素敵なコラムがきっかけで、一気に動き出す。タマちゃんの3回忌にあわせて、今度は皆でタマちゃんを描こうと。
全国から多くの仲間が集まり、コロナが落ち着いた令和4年11月開催することができました。
スタート(香林坊アトリオ)
当時、部員50名以上いたラグビー部。
試合後の飲み会の集合場所はここ香林坊アトリオでした。
学生時代ゆかりの地を巡りながら、トータル15㎞。
金沢の町にでっかいタマちゃんを描きます!
アトリオ~金沢城
大学時代の4年間、皆さんあまり観光地を歩いた記憶はないそうです。
ある意味、新鮮だったようです。
かっての金沢市民の台所、近江町市場もコースです。
旧金沢大学城内キャンパス グランド
現役部員サプライズ登場
かって金沢大学の練習グランドがあった場所で、現役生がサプライズで登場してくれました。
参加者たちは、自分たちと似た集団がいると思ったものの、まさか後輩だとは思わず。ほんと驚いていました。
タマちゃんの息子さんも交じって、昔懐かしのグランドでラグビー。
金沢大学の赤黒ジャージが城内キャンパスに帰ってきました!!
感無量です
現役・OB一緒になってエール交換
スリー チアーズ フォー 金沢大学ラグビーフットボールクラブ~
ヒップ フレイ! ヒップ フレイ! ヒップフレイ!
Three cheers for Kanazawa University Rugby Football Club,Hip Hooray!Hip Hooray!Hip Hooray!
あのころの金沢大学
今は観光地となっている金沢城公園。
当時、城の中にある大学は世界で二つだけ(金沢大学とドイツのハイデルベルグ)
すごいところで練習に励んでいたんだな~とつくづく。
今でこそ金沢城公園として芝生で整備されておりますが、当時は雨が降るとすぐグランドに水が溜まり、毎日泥んこになりながら練習していました。
昔を懐かしんで河北坂を坂ダッシュ。
当時の城内キャンパスにはグランドが1つしかなく、ラグビー部、サッカー部、アメリカンフットボール部共用だったため、グランドが使えない日はこのような陸上トレーニングをしていました。
OB・現役でゴールへ
現役ラグビー部もゴールまで着いてきてくれることに。
尾山神社の境内もコース。金沢大学ラグビー部、必勝祈願を行いました。
また応援しに行きます!
石川県ラグビー発祥の地
四高記念公園に到着。
ここは我々の学生時代、グランドが使えない日の練習地でした。
当時、ここでよくサーキットなど陸上トレーニングをしていました。
そしてここは金沢大学ラグビー部の前身、四高ラグビー部のグランドがあったところ。
四高記念公園には、石川県ラグビー発祥の地の碑があります。
昭和17年頃、太平洋戦争さなかの第四高等学校、ラグビー部はサッカーやバレーボール出身者と秋田・大阪方面の中学時代のラグビー経験者により、自然発生的に生まれたそうです。
部員お手製でポールを作ったり、練習相手も柔道部・相撲部・剣道部・剛健旅行部(ワンダーフォーゲル)の体力自慢が入れ替わり立ち代わり練習に加わっていたとのこと。
きっと先輩たちは、ラグビーそのものの楽しさを満喫していたのでしょうね。
昭和19年、20年は戦争の学徒動員の国民総動員体制になったため、部員たちは戦地に出征していったようです。
戦前にパッっと燃え上がり、戦争で消え去った石川県ラグビー発祥の歴史です。
戦争によって活動が途絶えていた四高ラグビー部。
昭和20年8月、終戦を迎えると戦地や各地に散っていた部員たちが戻ってきました。
茫然自失の状態で、草ぼうぼうのグランドで遠い空を眺めていたとき、
「おい、ラグビーをやろうよ!」
この言葉がきっかけで、終戦の年の秋には、石川の地にラグビーが復活したそうです。
ラグビーの仲間、たとえバラバラになってもラグビーでまた一つになれるのです。
石川県ラグビーの発祥からは80年、我々が卒業してからは30年の歳月を経て、現役ラグビー部とOBで写真撮影
石川県ラグビー発祥の地の碑は、当時の先輩たちが建てたとのこと。
ラグビーの良いところは、縦と横のつながりが深いところと胸を張っていえます。
ゴール(片町きらら)
タマちゃんの笑顔、金沢の町に描くことができました。
みんな描いたスマホを見せあって達成感と感動を味わっていると・・・
片町きららの巨大スクリーンに・・・
皆さん、うぉ~~と歓声
続いてラグビーワールドカップ2019の試合会場や、金沢でのパブリックビューイングの様子を映した映像が流れました。
そして元ラグビー日本代表キャプテン 廣瀬 俊朗さんからサプライズメッセージをいただきました。ご家族、金沢大学ラグビー部に前向きなお言葉を!
実はタマちゃんは晩年、音信不通となっていました。
癌であることをみんなには伏せたかったのだと。
タマちゃんが亡くなる2か月前、日本で開催されていたラグビーワールドカップ2019大会
タマちゃんもラグビー日本代表の躍進に大興奮していたとのこと。
きっと、ラグビーを通して繋がれていたね!
これが愛じゃなければなんと呼ぶのか 僕は知らなかった
米津玄師 「馬と鹿」
音楽とともに当時の懐かしい写真が片町きららの巨大スクリーンに。
みんな目に涙を浮かべながら見てくれました。
タマちゃんが家族に宛てた手紙「僕は根っからの楽天家」
死期を悟りながら、タマちゃんらしい言葉が今も心に残っています。
来年はフランスでラグビーワールドカップ2023が開催されます。
また来年会おうな!
タマちゃん分まで、そしてタマちゃんのように前向きに生きていこう。
今回の企画、北陸中日新聞さんで一面記事で取り上げていただきました。
MROさんでもドキュメンタリー形式にて素敵な映像でテレビ放送していただきました。
そしてタマちゃんの奥様から、みんなへのお返しとして、GPSアートクッキーのサプライズ。
今回は、たまたまがタマタマを呼び、ほんとうに素晴らしい企画ができました。
また裏でいろんな方にサポートいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
由屋るる犀々
今晩みんなで泊まるお宿
全国各地から集まってくれる仲間のために、最高なおもてなしを!
ランニングステーションも併設されています。
今回、ラグビーの仲間と由屋るる犀々のスイートルームに宿泊させてもらうことができました。
夜遅くまで昔の懐かしい思い出に花を咲かせました。
由屋るる犀々さんの屋上は、吉永小百合さん主演の映画「命の停車場」のクライマックスシーンロケ地になったようです。
ご覧のとおり、金沢市内が一望できる絶景です。
タマちゃんGPSアート制作のモデルであり、巨大スクリーンのクライマックスでも使ったタマちゃんの写真。
後から気づいたのですが、バックに写っていたのは我々の宿泊した由屋るる犀々のあたりでした。
何という偶然でしょうか。
きっと宿で、タマちゃんの懐かしい話を皆でしてたの聞いてたことでしょう。
なにいっとんねん
タマちゃんのセリフが目に浮かぶ
思い出よ永遠に
今年の父の日、親父を思い浮かべて一人走ったGPSアートです。
タマちゃんのモチーフとほぼ同じですが、実は父にもそっくり。
実は私の父は愛知県の強豪、西陵高校ラグビー部出身。
レギュラーとなり地区大会でも優勝するなど活躍もしていたようですが、「大学受験」のため途中退部したようです。
金沢大学に合格、ほんとうはラグビーを続けたかったようですが、医学部で続けていくのが困難なことから医学部サッカー部に。ラグビーを続けれれなかったのが心残りだったようです。
そのような経緯からか、小学生のころ、父は私を鍛えるためにと毎朝ラグビーボールでランパスをしていました。
父は私が高校でラグビーを始めたこと、金沢大学でラグビーを続けたこと、ほんとうに喜んでくれました。
今回のタマちゃんウォーク、だいぶん昔に亡くなった父のことも脳裏に浮かべていました。
もしかしたら父も見ててくれたかな。
大切な繋がりを忘れてしまいそうになる今日この頃。
GPSアートに想いをのせて! 思い出よ永遠に